『なんで私ばっかりこんな目に?』と自分を卑下するのをやめてみた。

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『なんで私ばっかりこんな目に?』
みのり

こんにちは!みのりです

皆さんは、『なんで私ばっかりこんな目に?』と思ったことはありませんか?

私は、つい最近まで嫌なことがあるたびに思っていました。

『なんで私ばっかりこんな経験をしなければいけないのか?』

『なんで私だけ、稀ながんにならなければいけないのか?』

『なんで我が子が、世界に数人しかいないタイプの自閉症にならなければいけなかったのか?』

なんで、なんで!?と自分で自分を追い詰めて、自らどんどん『不幸』を寄せ付けていたのです。

その背景には、私の心が大きく関係していることを、最近やっと気がつくことができました。

今回のブログでは、その原因を綴っていきたいと思います。

ガーデン
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『なんで私ばっかりこんな目に?』と思う原因

自分自身の笑顔を取り戻すために、不幸を寄せ付けないためにも、今回自分自身の心と向き合ってみたら、3つの大きな原因があることに気がつきました。

常に誰かと比べている自分

誰1人として同じ人間はいないのに、常に誰かと比べている私がいたのです。

キラキラ輝いている友人を見ては、劣等感を感じ落ち込んだり、健常児のママ友同士で、お出かけをしているのを見ると羨ましく思ったり……

人生に、勝ち負けはないのに、誰よりも不幸だと決めつけて自分自身を卑下していたのです。

『自分軸』ではなく『他人軸』で幸せを測っていた。

自分が幸せかどうかではなく、他人から見えて幸せかどうかで私は知らない間に幸せを測っていたのです。

自分の幸せは自分で決める!当たり前のことかもしれませんが、人の目を気にするあまり私はこれができていませんでした。

私の幸せのものさしと他人の幸せのものさしは違います。

最初の基準が違うのに、他の方のものさしで幸せを測ってしまうと、気持ちにズレが出てくるのです。

他人のものさしで測っていると、いつまでたっても幸せにはなれないということに今更ながらやっと気づくことができました。

少数派の中に入ってしまった

私の中のどこかで、多人数は経験しないであろう『稀』なことを経験するということは『運を持っていない人間』だと思っていました。

そしてそれに選ばれた私は、人よりも劣っていると思い込み、人より幸せに生きれていないと思い込んでいたのです。

多人数が経験する『普通』のことが、私にとって『幸せ』とは限りません。

『稀』なことが起きる私の人生でも、私が幸せであれば幸せなんですよね。

病気になって自分を見つめ直した今回、私は初めてそのことに気づくことができたのです。

自分を卑下するのをやめてみたら。

SNSの時代になり、どこにいても簡単に他人の日常生活が見えるようになり、その分どうしても比較してしまうことが多くなったような気がします。

誰かと比較すること全てが悪いことではないのですが、『幸せのものさし』は前述したように一人一人違います。

私は私で、人は人です。そう思うようになったらすごく気が楽になったのです。

『なんで私ばっかりこんな目に?』と誰かと比べてばかりいたら、自分自身を見失ってしまいます。

誰かよりは不幸だけど、あの人よりはマシ!そんなふうに思って過ごす人生は、自分さえ良ければ良いということにもなり心が幸せではいられないですよね。

自分を否定するのではなく、認めてあげることで自分自身を大切にできるだけではなく、他人も大切にできるのではないでしょうか?

そこに気づいた時、やっと自分と向き会えたような、そんな気がします。

みのり

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